世界の小説 名作探訪

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カミュ「ペスト」 不条理な世界との戦い方<2>

 

 

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カミュの「ペスト」の続きです。

 ペストみたいな上司がやってきた前回の話はこちらをご覧ください。

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  4人の登場人物 

ペストによってオラン市は完全に閉鎖され陸の孤島となります。そこに取り残されたランベール、パヌルー神父、タルー、そしてリウーについて、彼らがどうこの難局に立ち向かったのか見ていきましょう。

 

 1.ランベール  「やっぱ自分が大事」と町からの脱出を試みるも・・・

新聞記者のランベールは、取材のためオラン市に滞在していましたが、ペストで市が閉鎖されたため、町から出ることができなくなります。

 

ランベールはパリにいる恋人に再会しようと、オランからの脱出を図ります。彼は医師リウーを訪ね、ペストにかかっていないとの証明書を書いてもうよう願い出ます。ところがリウーは職務上、特例を認めるわけにはいかないとランベールの依頼を断ります。 

 

ランベールは強く抗議します。

あなたには理解できないんです。あなたの言っているのは、理性の言葉だ。あなたは抽象の世界にいるんです。(宮崎嶺雄訳 以下同)

 

その後ランベールは密輸業者のコタールの助けによって、町からの脱出を試みますが、遅々として進みません。

 

一方リウーとその友人のタルーは保険隊を組織しペストで苦しむ人々を助けようと奔走していました。自分だけ町から脱出しようとするランベールは、こう言って二人を非難します。

 

あなた方は一つの観念のためには死ねるんです。

 

僕はもう観念のために死ぬ連中にはうんざりしているんです。僕はヒロイズムというものを信用しません。

 

僕が心をひかれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです。

 

ランベールはスペイン戦争に参加した経験から、観念、理性、抽象といったものが戦争を引き起こし、そうした行為に加担することをヒロイズムとして退けます。リウーやタルーのペストとの闘いも観念から生まれたヒロイズムであり、個人の幸福の追求を否定するものとして非難したのです。

 

 恋人への愛を選びオランの町から脱出を図ろうとするランベールに対しリウーは「君のいうとおりですよ」と理解を示しながらも、これは決してヒロイズムという問題ではなく、誠実さの問題だと説きます。彼にとって誠実さとは自分の職務を果たすということでした。

 

職務を全うしようとするリウーに対し、ランべールは愛を選んだのが間違えだったのかもしれないと一瞬躊躇しますが、続けてこう訴えます。

あなた方は二人とも、なんにも失うところはないんでしょうからね、そういうことのために。いいほうの側にたつのはやさしいことです。

 

ところがその後ランベールは、リウーも妻と離れ離れにの暮らしを余儀なくされているという事実を知り、市から脱出するまではリウー達と共に保険隊で働こうとします。

 

やがてランベールに市から脱出するチャンスが訪れますが、彼は思いとどまり、最後までリウーらと共にペストと戦い続けることになるのでした。

  

2.パヌルー神父 この世で起こることは、全てが神の思し召し?

 パヌルー神父は人々から尊敬を集めるイエズス会士です。彼は教会で説教を行いますが、ペストを神の懲罰とみなし、人々に懺悔することを説いたのでした。

 

皆さん、あなたがたは禍のなかにいます。皆さん、それは当然の報いなのであります。

 

今日、ペストがあなたがたにかかわりをもつようになったとすれば、それはすなわち反省すべき時が来たのであります。心正しき者はそれを恐れることはありえません。しかし邪なる人々は恐れ戦く(おののく)べき理由があるのであります。

 

このようなパヌルー神父の考えに対しリウーは疑問を抱きます。タルーとの会話で、リウーはこう答えています。

 

 パヌルーは書斎の人間です。人の死ぬところを十分見たことがないんです。だから、真理の名において語ったりするんですよ。

 

その後、パヌルー神父は保険隊に加わり、献身的な活動をしますが、子どもが苦しみながら死んでいく様子を見て、リウーと口論になります。

 

 リウーはパヌルー神父の説教を思い出しこう訴えます。

 まったく、あの子だけは、少なくとも罪のないものでした。あなたもそれはご存じのはずです!

 

憤るリウーに対しパヌルー答えます。

まったく憤りたくなるようなことです。しかし、それはつまり、それがわれわれの尺度をこえたことだからです。しかし、おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです。

 

 リウーはこう返します。

そんなことはありません。僕は愛というものをもっと違ったふうに考えています。そうして、子供たちが責めさいなまれるように作られたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯んじ(がえんじ)ません

 

パヌルー神父はペストに神の意思を見出そうとするのに対し、リウーは実直に医師としての職務を全うしようと治療に専念します。リウーにとって大切なことは神の意思を解釈することではなく、目の前で苦しんでいる人を助けることなのです。

 

  

パヌルー神父は教会で再び説教を行います。しかし悲惨な子供の死に直面した結果、彼の言葉は1回目の説教とは大きく変わっていました。

 皆さん。その時は来ました。すべてを信じるか、さもなければすべてを否定するかであります。そして、私どものなかで、いったい誰が、すべてを否定することを、あえてなしうるでしょうか?

 

神への愛は困難な愛であります。それは自我の全面的な放棄と、わが身の蔑視を前提としております。しかし、この愛のみが、子供の苦しみと死を消し去ることができるのであり、この愛のみがともかくそれを必要なもの   ー ー理解することが不可能なゆえに、そしてただそれを望む以外にはなしえないがゆえに必要なもの ーー となしうるのであります

 

パヌルー神父は神を全面的に受け入れるか、あるいは否定するかの二者択一を迫ります。彼にとって世界は神の意思によって貫かれているため、たとえ人間には到底理解できないような悲劇であっても、キリスト教徒であれば全面的にそれを受け入れなければならないと説いたのです。

 

説教の直後、パヌルー神父はペストと思われる病に倒れます。ところが彼は医者の診察を拒否します。彼の思想の帰結として、病を神の意思として受け入れ、治療を拒否したのです。その結果パヌルーは命を落とすことになります。

 

3.タルー 人は 神によらずに聖者たりえるか 

タルーはオラン市の町がペストに席巻される数週間前からここに滞在し、町の人々を観察しながら少し風変わりな日記を綴っていました。

 

ペストによって町が閉鎖されると、タルーは医師リウーに志願制の保険隊を組織することを提案します。タルーとリウーはペストに立ち向かおうとする点で、ほとんど同一の考えをもっています。

 

しかし、パヌルー神父の説教をめぐる会話の中で、タルーとリウーの考えに微妙な違いが垣間見られます。

 

神を信じるか?と尋ねるタルーに、リウーは答えます。

 信じていません。しかし、それは一体どういうことか。私は暗闇のなかにいる。そしてそのなかではっきり見きわめようと努めているのです。

 

この先、何が待っているのか、こういうすべてのことのあとで何が起こるのか、僕はしりません。<中略>しかし、最も急を要することは、彼らをなおしてやることです。僕は自分としてできるだけ彼らをも守ってやる、ただそれだけです。

 

 しかし、「何ものに対して守るのか?」とのタルーの問いに、「僕には、全然わからない」と答えます。

 

リウーが神を信じていないにもかかわらず献身的になれるのは、今、ここで死にかけている人間を助けたいという、ごく自然な感情の線上にあるのです。リウーにとって大切なことは信仰でも何かを理解することでもなく、人命を救うという医師としての仕事なのです。

 

 

一方、タルーは「人生についてもうすっかり知っている」と思っています。保険隊を作ってペストという不条理に対峙しようとするタルーに対し、リウーはなにがそうさせるのか?と問います。タルーはこう答えます。

知りませんね。僕の道徳ですかね、あるいは

 

どんな道徳です、つまり?

 

理解することです。

 

何故タルーにとって「理解」することが、不条理との闘いの原動力となりうるのか?

 

タルーはこの街にきてペストに出会う前から、ペストに苦しめられてきたと告白します。

 

 タルーは少年時代、次席検事だった父親が被告人に死刑宣告をするのを見たことから、「社会は死刑宣告という基礎の上に成り立っている」と考えるようになります。彼はこうした殺人(≒ペスト)と戦うために政治活動に参加しますが、そこでも「誰も殺されない世界」を作るために処刑が行われているといった矛盾に直面します。

 

その時僕は、その長い年月の間ーーしかも全精神をあげてまさにペストそのものと闘っていると信じていた間にも、少なくとも自分は、ついにペスト患者でなくなったことはなかったのだ、ということを悟った。

 

タルーは「われわれはペストの中にいるのだ」と気づいたとき、心の平和を失います。そして失ったものを探し求めるため、「すべての人々を理解しよう、誰に対しても不倶戴天の敵にはなるまい」と決意します。

 

 その帰結としてタルーは人を死にいたらしめる一切のものを拒否しようとします。

僕は、直接にしろ間接にしろ、いい理由からにしろ、悪い理由からにしろ、人を死なせたり、死なせることを正当化したりする、いっさいのものを拒否しようと決心したのだ

 

タルーは世界を天災と犠牲者に分けます。そして天災に与(くみ)することを拒否し、犠牲者の側に立つことに、つまり犠牲者に「共感」することによって、心の平和に到達できると説きます。

 

タルーはすべての人々(犠牲者)を理解し共感することによって(=神によらずして)、心の平和を取り戻そうとしているのです。タルーはこう述べます。

 人は神によらずして聖者になりうるか、これが僕の知っている唯一の問題だ。 

タルーにとって保険隊とは、他者を理解し共感することによって(つまり神によらずして)、心の平安に到達し、聖者たらんとする試みだったのかもしれません。 

 

これに対し、リウーは言います。

僕にはどうもヒロイズムや聖者の徳などというものを望む気持ちはないと思う。僕が心を惹かれるのは、人間であるということだ

 

聖者となることを理想とするタルーに対し、リウーは人間の世界からペストに対峙する立場をとります。

 

しかしペストが終息しようとしている直前、タルーはペストに倒れます。タルーはリウーとリウーの母親に見守られながら息絶えます。彼は心の平和に到達することができたのでしようか?

  

 4.リウー  彼が「平凡」の先に見たもの

今までランベール、パヌルー神父、タルーの戦いを紹介してきましたが、彼らとリウーの会話からリウー自身の考え方が垣間見えます。

 

ランベール、パヌルー神父とリウーの違いは明らかです。

 

ランベールが恋人と再会するため町から脱出し、個人の幸福を追求しようとするのに対し、リウーはオランにとどまり医師としての職務を誠実に果たそうと努めます。

 

パヌルーがペストに神の意思を認め、それゆえに治療を拒み死を受け入れたのに対し、 リウーは神を否定し、死に抗います。医者であるリウーにとって重要なのは神ではなく「健康」なのです。

 

一方タルーとリウーの違いは微妙で分かりにくく感じます。この差異を理解するには、官吏グランに対するリウーの共感を見るのが一番でしょう。

 

グランは安月給で働く冴えない役人です。売れる当てのない小説を書き続け、いつか成功したいと夢想することが、彼のささやかな野心なのです。

 

そんな普通の役人グランが保険隊に参加します。彼は登録や統計といった地味でささやかな仕事で貢献しますが、そこには何らヒロイズム的な要素はありません。

 

しかしリウーは、この凡庸な人物に最も共感と敬意を表しているのです。

 

リウーはグランについてこう語っています。

グランというなんらヒーロー的な要素を持たぬ男が、今ではそれらの保険隊の一種の幹事役のようなものを勤めることになったのである

 

グランこそ、それらの衛星隊の原動力となっていたあの平静な美徳の、事実上の代表者であったと見なすのである。

 

一方リウーはタルーの組織した保険隊に対しこのように述べています。

これらの保険隊を実際以上に重要視して考えるつもりはない。なるほど、多くの市民が、今ではその役割を誇張したい誘惑に負けるだろう。しかし、筆者(=リウー)はむしろ、美しい行為に課題の重要さを認めることは、結局、間接の力強い賛辞を悪に捧げることになると、信じたいのである。

 

タルーの尽力により実現されたわれわれの保険隊も、客観性をもった満足の念をもって判断されねばならぬのである。このゆえに、筆者はその意図とヒロイズムとのあまりにも雄弁な歌手になろうとはせず、それ相応の重要さを認めるにすぎないのである。 

 

リウーは「自分はすべてを知っている」と信じ聖者たろうとするタルーに対し「ヒロイズム」を見て取ります。一方自分の仕事に忠実たらんとする普通の人、グランに「ヒロイズム」とは全く真逆なものを見出しながら、逆説的に彼こそがヒーローにふさわしいと最大限の賛辞を送るのです。

 

もし人々が、彼らのいわゆるヒーローなるものの手本と雛形とを目の前にもつことを熱望するというのが事実なら、<中略>筆者はまさに微々として目立たぬこのヒーロー(グランのこと)  -- その身にあるものとしては、わずかばかりの心の善良さと、一見滑稽な理想があるにすぎぬこのヒーローを提供する

 

普通の人々が、日常の感覚の中で、不条理に対しNO!ということ、これこそがリウー、そして作者カミュにとって理想の姿なのでしょう。そこには神も聖者の姿もなく、ただ市井の平凡な人々がいるだけなのです。

 

やがてペストはその猛威を急速に弱め、あっけなく終息を迎えます。そしてオラン市は解放され、人々には日常が戻り、この小説は終わります。

 

オラン市に留まったランベールは結局生き延び、恋人との再会をは果たします。

 

しかしペストと闘い続けたリウーのもとには療養中の妻の死を知らせる手紙が届くのでした。

 

 

 

 以上がカミュ「ペスト」の大まかなストーリーです。hirozonのヘボイ読解力ではタルーの話が今ひとつ咀嚼しきれず、誤った解釈をしているかもしれません。解釈については当ブログは何ら責任を持ちませんので、「なんか違うんじゃねーの?」と疑問を持たれた方はご自分で小説を読んでいただき、正しく解釈していただくようお願いします。

 

で、今hirozonが悩んでいる冒頭の問題に戻りますが、ペストのように突然現れたパワハラ上司・・・。この不条理にどう対処するべきか?

 

「ペスト」が教えてくれた選択肢は以下の3つ!

 

  1. ランベールのように逃げる・・つまり会社をやめる。
  2. パヌルー神父にように神の意思だと思ってあきらめる?
  3. リウーやタルーのように戦う・・訴訟でも起こす?

 

でも小説の最後はペストがあっけなく消滅してくれます。ということは、あいつがいなくなるのを待つという4つ目の選択肢もありか?いつかは異動があるだろうし。

 

サラリーマンも永遠に不条理に苦しむのです・・。

 

ペスト (新潮文庫)

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